上司に対する不満

ブログだから好きな事を書かせていただくが、私は現在の上司に不満を持っている

まず、私への評価が低いことは不満だ

今の職場と上司についたのは約半年間である。

社員の成績表たる人事考課がある

その中でコミュニケーション不足を指摘されていた

半年間という期間で初対面の部下たちとコミュニケーションをとっていると考えると現在のところ普通に頼みごとや仕事の依頼や世間話までできる関係性まで培ったのを低いと評価されたのは非常に残念だ

私はその上司に言いたいが、あなたが私の立場なら現在の関係値まで持っていくことは評価を下げるほどの進行であるのだろうか?

上司の言い分としては平社員で同世代の立場ならもう少し評価が高かったが、役職がついたから厳しくしたという

具体的に上司が私の立場ならどう振舞って業務にあたっていたのかが知りたい

というかどこまでを私に期待していたのかが知りたいのだ

 

次に上司としての不満が3点ある

①部下を褒めない

②実行までが遅い

③部下に嫌われるのを恐れすぎている

 

①と③はよく似ている。上司は表面上は優しいが人を褒めているところをあまり見たことがない

いや全くかもしれない

感謝や謝罪はよく耳にしているが人を褒めて承認するような素振りはほぼない

また一部の部下のみ厳しいことを言って職場で発言力のある部下にはほとんど注意をしない

(その部下への愚痴のような事は私には言っている)

私は部下に嫌われてもいいので指示して実行してもらう派の立場だ

上司は小うるさい嫌われ者でいいのだ

それでも頼りになり、実力があればついてくる部下は必ずいると私は思う

 

②だが、仕事で課題点がいくつか出てきたり指摘されることがある

以前の職場であればそれは即日改善して実行していた

ただ今の職場は放置されてたりして誰かに仕事を押し付けているような環境に思える

私は上司がすぐに行動を起こせると周りの人も行動できると思う

上司の行動や尊敬できる点が見つかると真似をするのが部下だ(私が特にそうである)

あくまでも私にとってだが、今の上司にははっきり言って尊敬できる点が乏しい

だからこそ私は私の考えで行動していきたいと思う

上司にどう思われようが結果を残して決して文句は言わせない

今年ももう終わりに近づいているが今年中に何かを変えて結果を残す、今書きながら決意を固めた

患者様はお客様ではない

どこの薬局にでもクレームというものはあるのでしょうが、こちらに非があるものに関しては改善していくべきだとは思う

だがしかし、過度な要求をされる場合も多々ある

こちらもその要求には最大限で応えるつもりで仕事をしているが、物理的に不可能なこともある

さて表題の件だが、過去10年前に比べて薬局のサービスは非常に良くなったと思われる

アプリ対応や電子マネークレジット等の支払い、ウォーターサーバーの設置、雑誌新聞、キッズルームの設置など、全てではないが様々な面で患者の待ち時間を心地よいものとしようする配慮がある

 我々の給料は患者が薬局に持ってくる処方箋から発生しているのだから患者様と呼ぶのは妥当かとは思う

ただ、治療を受けるために最低限確認しなければならないことや調剤上できないことがある。

それは治療受けている患者であってお客ではないから

お客様扱いをしてもらいたがる方が増えてきているの様に思える(あくまでも主観)

その扱いに疲弊したり苦しんでいるスタッフが非常に可哀想でしかたがない

私が会社の社長であるならば、「うちでは対応できないので、どうぞ他の薬局に行ってください」ときっぱり断れるのだが

しかし、調剤拒否は基本的にはできないのが薬局である

医者もそうだと思うが、患者を選ぶことはできない

治療受ける側として患者のモラルが低くなっていくのがわかる

病気になって治療を受けて薬をもらうのは当然であり、その各過程の一つ一つは確実にその患者のことを考えて行動している人なのだ

威圧的な態度や過度な要求というのは、結果として確認作業の過失などの発生率を上げたり、本人は結果として損をする場合があることを知らない

そのような点を教育する場を薬局だけで提供するのは無理な様な気がする。

仕事とバンド

突然ですが、(以前からなので私にとっては突然ではないのだが)私の親戚があるバンドのヴォーカルをやっている

私が特定される可能性があるのでバンド名は明示は避けるが、メジャーデビューもしているバンドであって先日ライブを見に行ってきた

感染数は減ってきているとはいえ、コロナ禍のため座席指定、掛け声禁止、マスク着用等の対策で行われた

ライブの内容としては規制が多い状況で10,000人程度のキャパシティで開催できたのはすごいことだと思う

私が気になったのは、親戚のヴォーカルがMCの時間に言った言葉であった

「みんなにとっては小さいことかもしんねぇけど、俺の作った歌をやっと自信持って歌えるようになったんだ。それって小さなことかな」

一言一句同じではないと思うが、その様なことを言っていた

私は、なるほどバンドマンとは言っても仕事をしているという立場は変わりないのだなと思った

私自身、この仕事に就いてから誇りや責任を持つのには時間がかかった

他者の評価ではなく、自身の生業というものがどれだけの人に影響を与えて、その人の生涯に影響を与えていくのか、更にはその子々孫々に影響を与える可能性すらあるということに気づくのに時間がかかった

だからこそ仕事における一挙手一投足に自信と責任を持って挑むべきなのだと思う

 

親戚は2年前のMCでこの様なことも言っていた

「名曲って勝手にできるものじゃないんだよ。ライブで歌って、みんなが聞いてくれて歌って、その曲に感動してくれる人がいてできる」

納得できる言葉だと思った

では、名曲を作るならどうしたら良いか?

それは一曲一曲に真摯に向き合って作品を作り上げることだろう

他者の評価はその後についてくるのである

他方、仕事ではどうだ

日々の勉強等の自己研鑽や業務に対する取り組みを一所懸命に行うことではないだろうか

評価は後からついてくる

上司が見てくれていなくても、評価する仲間が増える

社会人とバンドマンは遠い存在の様だが、仕事の責任や誇り、評価については近しいところがあるのだと思った

そして私は親戚の言葉で、鼓舞され、より仕事を熱心に取り組みたいと感じた

経験させることが近道

私が管理職になって初めてのことだが、部下から社員区分を変更したいという相談を受けた

 

話を聞くと街の薬局では手当も少ないし、家賃補助も出ないためメリットが少ないということであった

結論としては部下の社員区分の変更はメリットがあると思えたため、人事権を持っている上司に相談するように進言した

 

ただ、相談を受けているところで気になる一言があった

「もっと田舎の穏やかなところで働きたい」と

私にはイコール「楽して稼ぎたい」という意味に聞こえた

そもそも別に田舎が必ずしも穏やかな店舗ばかりではないことと、穏やかな店舗に配属できるという確証もない

おそらく結果として異動することは部下にとってメリットがあるため正しいと思えるが

その考え方で異動すると自身の想定とのギャップに打ちひしがれるのではないだろうか

 

しかし私はそこまでは言わなかった

というのもそこまで伝えると部下が異動したいということを取りやめたいと思うかもしれなかった

部下の状況的には異動した方がメリットが大きいと思えるので、そちらを優先させたいと思う

あとは口で言っても実際に異動して身をもって経験するのが早いかもしれない

 

やや無責任と思われるかもしれないが、挫折やギャップを経験させることも成長につながると私は思っている

給料と仕事

職業柄コロナワクチンの接種の手伝いをする機会がある

時給は発生してるからボランティアというわけではない

ワクチンは予約制なので当日の予約人数や予約スケジュールが把握できている

会場のスタッフのおかげでほとんどが滞りなく進んでいる

日中は忙しくも接種ペースに影響を及ぼさないようにスタッフが対応してくれている

1日の終盤になってくると残りの人数がある程度見えてくるので、日中ほどのスタッフは必要がなくなってくる

そのため、必要最低限の人数を残して他の方は帰ってもらうことにしたのだ

最も当然なことなのだが、私が以前手伝った際はそうではなかった

その当時は5人で十分なところを10人も残るという感じであった

私より参加する頻度の高いベテランスタッフから次の様な話を聞いた

残りの予約人数が少ない状態で、過剰なスタッフが残っていたときにそのうち1人のスタッフが外に出て、月が綺麗だとかそういうことを言ったらしい。

それだけに留まらず、他のスタッフも連れて月を見に行ったとか

そのサボりと思われる様な行動を見た他のブースのスタッフが、手伝いもせず何をしているんだと思われベテランスタッフは肩身の狭い思いをしたのだと。

だから今は必要最低限の人数以外は帰らせることにしたのだというのだ。

なぜ彼らがその様な行動をとったかはわかる。時給が発生してるからだ。月を見て時給が発生するならそんな楽な仕事はない。

仕事をサボって給料もらう様なものである

私の性格上、時給(お金)が発生している限りは責任を持って仕事しないと気が済まない

なぜならそれはお金は仕事に対する対価として支払われるものであるからだ

雇用主がお金を払う価値があるとして依頼した仕事であり、引き受けた側としては責任を持って完遂する必要がある

だからダラダラする、サボるという行為には納得できない

私の中では仕事というものの後から給料がついてくると考えている

社会の中には残業代を稼ぐためにダラダラ仕事をするという行為があるようだが、そうやって稼ぐよりしっかり時間内に仕事を終わらせた方が定時で帰って好きなことをできるのではないだろうか

お金を稼ぐという目的だとしても、昇進や昇給するのは時間内にきちっと仕事を終わらせる人であるし、定時で帰った時間で副業や資格勉強した方がよっぽど儲かると思う

要するにダラダラする人は、結果として損をしているのだ

その点、最近の若いものと言われる世代は同調圧力に負けず定時で帰るのだから素晴らしい

(その後が有益な時間かは分からんが)

今回のワクチン接種でただ残っているだけの人の話を聞いて思ったことは、やはり仕事は責任を持って時給が発生しているうちは生産性のあることをしていたいと思うし、サボるダラダラする人は品性を疑うと思った

私の考えや感覚は押し付けかもしれないが、全員そうであってほしいと思う

 

考えすぎないために記事を書く

誰も見ていないと思いつつ記事を書いているが、最初は勉強のためにと薬剤師としてためになることをまとめればよいと思っていた

 

まあしかし、続かない

ネタもそんなポンポン出てくる(できる)わけもなく、記事が3つで停滞してる

誰かの書いた記事をみて勉強になっても、自分がそこまで綺麗にまとまっててためになる記事を目指しても実現はできなかった

要するにカッコつけたかったんだなぁと

スマートなブログを書いている自分が理想で、そんなことできないから書かない(書けない)

それに薬剤師としてということに絞るのもよくなかった

ブログだから何書いてもいいし、自分で好きなものを書けばいいんだと

最近、本を読んだ感想も書けてないのでブログに記載するようにするか

差し詰め、今週あたり最近読んだ武士道について書いてもいいかもしれない

 

明日も仕事なので考えない様にして寝ます

ヒヤリハット対策を模索する

薬局業務の中で切っても切り離せない存在

それは、ヒヤリハット

個人的にはヒヤリハットというよりヒューマンエラーを考えることが多い。

単純なミスであればミスをしないようにやり方を変えるという方法があるが、

私が言いたいのは心理的空間である。

行動に至った理由を深掘りする必要がある。

コフカの心理的空間に基づく判断モデル

心理学者のコフカは、人は自分の行動をどのように決定するか、以下の例を示した。

 雪の野原を馬に乗っていたある旅人が、やっとある家にたどりつき、一夜の宿を請うた。

 その家の主人は、旅人が通ってきたコースを聞いて旅人の無謀さに驚いた。主人からのそのわけを聞いた旅人は、卒倒してしまった。なぜなら、旅人が雪の野原と思って平気で歩いて来たのは、実はそうではなく、湖面に張った 氷上の雪であったことを知ったからである。

 そこは、土地の人ならとても怖くて通れるような所ではなかったのである。

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即興で作った絵である

これはただのたとえ話ではなく、実際に行動した内容をが実はものすごく危険なことだったりすることもある。

しかし本人の心理的空間の中には危険な因子が一つもないのだ。この旅人は湖の存在がなければ直線で進むことは最も合理的な行動なのである。

旅人が見えている空間は、ただの雪原であるこれを心理的空間と呼び、湖を含めた空間を物理的空間と呼ばれる。

つまり、心理的空間と物理的空間を一致させることが重要になる。

行動を変えるには湖の存在を何かしらの形で示す必要がある。

現実のヒューマンエラーではここでの湖の存在は見えていないことの方が多く、ヒヤリハットを起こした後でもその湖の存在は明らかになっていないことがある。

だからこそインシデントの集計をかけてその頻度を数値で出したり、システムや規則のようなもので湖の周辺に柵を立てるようなイメージで対策を立てるだと思う。